色のない塗り絵 ~ 『学び』への純粋なまでのたくましさ
学校に行けない子どもたちがいます。
生まれながらにして、教育を受ける機会すら与えられない子どもたちがいます。
世の中には、いまだに解決策を見いだせない『不条理』がたくさんありますが、その中でも、教育の機会、、いや、生きることさえままならない子どもたちがいるという現実には心が痛みます。
こんにちは。
チームデルタの谷口です。
教育の機会もないまま、未来にほとんど選択肢が用意されない子供たち。
今日はクリスマスですね。
僕らが暮らすこの国の多くの家庭では、昨夜、家族みんなで幸せな時間を過ごされたことと思います。
僕には子どもがいないので、クリスマスといってもいつもとたいそう変わりませんが、この季節には毎年何通かのメッセージカードが届きます。
ミャンマー、バングラディシュ、エチオピア、ルワンダなど、まだまだ発展途上だったり、戦禍にさらされている国や地域の子どもたちからの便りです。
以前にも書きましたが、チームデルタは、発展途上国の中でも、極めて劣悪な教育環境にある国の子どもたちに対し、教育の機会を提供するプログラムに参加しています。
子どもたちが学校に行けるようになるには、まず労働から解放する必要があります。
すなわち、彼らの家庭の経済を改善すること。
そして、教育設備を整えること。
メッセージカードは、チームデルタがこのプログラムを通して支援している子どもたちが届けてくれる数少ない、『生きている証し』です。
どの子の言葉も僕にはさっぱりわからないんですけどね(笑)。
その中にあった1枚のぬり絵に目が留まりました。
色が異常に少ないんです。
わずか3色でぬり分けられているだけなんです。
でも、よく見ると、同じ色が隣り合わせにならないよう、色の配置を工夫しています。
もう1つ驚いたのは、自分で色を作りだしていること。
『塗らない』という方法で、『白』という色を作り出し、それを他の色と協調して
効果的に使ってるんです。
学校に通えるようになったとはいえ、まだまだ設備も備品も十分でない環境の中、多くの子どもたちと共用で使っていることを想像させるわずかな色しかない色鉛筆とそれで描かれたぬり絵。
稚拙と言えばこの上なく稚拙です。
日本の子どもたちの描いたぬり絵と比べれば、粗末なものかもしれません。
でも、僕は、この1枚の塗り絵に子どもらしい純粋なたくましさを感じます。
決して意図的ではない、作為的でない、本能とでも言いたくなるような生き抜こうとする力強さが伝わってくるんです。
色が十分になくても、子どもたちはぬり絵が好きなんですね。
わずかな文房具も、壁のない校舎も、子どもたちの純粋な知的好奇心と成長を阻むことはできないようです。
『学校』という、時間と場所さえあれば。
必要最小限の水と肥料のみ与え、植物を常に飢餓状態に追い込むことによって、本来持っている生命力を最大限に引き出すことを狙いとする農法があった気がします。
子どもたちを植物にたとえるのは適切ではないかもしれませんが、この子たちの『学びへの欲求』は途方もなく旺盛なようです。
すごいですね。
劣悪な教育環境を決して支持するわけではありませんが、そんな環境にひるむこともなく伸びゆく芽のような子どもたちのたくましさに感動します。
学べることへのピュアな歓喜がほとばしっているようです。
僕らが住むこの国では、いかなる状況であろうとも、常に複数の選択肢が用意されます。
その人の生き方如何に関わらず、国というシステムの中で選択肢が用意されるんです。
僕の経験から言えば、8年間の入院中も、施設で療養生活を送っている時も、車椅子を必要とする生活を余儀なくされてからも、就職活動をしているときも、選択肢は常に複数ありました。
そして、いずれかを自分の意志で選ぶことができたんです。
選べる、ということはとても幸せなことです。
今、この子たちが暮らす国で、1つでも多くの選択肢をこの子たちの未来に用意するために必要なのは教育です。
それともう1つ。
この子たち自身が持つたくましい生命力です。
今宵は、キリストの生誕ではなく、この子たちの未来を祝福したいと思います。
人の道はそれぞれに深く、いかなる状況にあっても、生きることよりも素晴らしいことなど何一つないくらい、未来はそれくらいいいものなんだと、この子たちに気づいてほしいと思うんです。
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