記憶に残らなきゃ意味ないっての!
大原麗子さんが逝去された悲しみがいまだに癒えず、引きこもりがちの日々です(笑)。
 
 
 こんにちは。
 チームデルタの谷口です。
 
 
 彼女の代表的なCMは、20数年経過した今でも、ネットのあちこちで見ることができます。
 でも、こうして情報が何でもかんでもデジタル化されてくると、本来の『情報の寿命』というものが無くなってしまうような気がします。
 
 無理に寿命を引き延ばしたりしないで、消え去るべきときに消えることができるようにしてあげることができないものかと思ったりします。
 主を亡くした家や持ち主が消えたあとに残る衣装のように、故人の映像は、何かしら虚ろに見えてしまいます。
 
 
 広告については既にこんなコラムやこんなコラムや、こんなコラムまで書きました。
 広告という非常にクリエイティブな活動において、僕が強く惹かれるのが、広告コピー。
 
 
 広告コピーは、高度に発達し、最も洗練された「言葉遊び」だと思います。
 
 『言葉』フェティッシュの傾向がある僕にとって、優れた広告コピーの世界は、選び抜かれた言葉たちのギャラリーであり、世界で一番短い名曲集でもあります。
 また、ある事象(多くの場合は企業の利益)に対するコンセプトを立て、Webサイトという目に見える形で表現するのが仕事でもある僕にとっては、洗練された表現の学びの場でもあります。
 
 
 少し前にこんなニュースを読みました。
 
 
 『CMの6割、視聴者の心に届かず」(YOMIURI ONLINE)』
 
 
 既に元情報は削除されてますが、かいつまんで引用すると、
 
 
 2008年4月から09年3月までの1年間に流されたテレビCM1万7765作品のうち、約6割が視聴者の印象にほとんど残っていないことが、民間調査会社「CM総合研究所」の調査でわかった、とか。
 
 その中には、一つの商品のCMに最大3億円以上を費やした企業が3社あったほか、年間に最大で905回流していた企業もあった、ともあります。
 
 そして最後に、
 『印象に残らないCMは企業に貢献せず、日本経済のロスですらある」』 と、ばっさり(笑)。
 確かに、こんな役に立たない投資をするくらいなら、社員の賞与に反映させたほうが、消費に貢献するってもんです。
 
 
 TVはいまだ最大のメディアではありますが、目に触れない、記憶に残らないじゃ意味がない。
 いまさらながら、自社の望む特定セグメントへの訴求が、小さなコストから可能になるメディアとしてのネットの価値に対して認識を新たにする思いです。
 
 
 特定の人が集まる場所で広告を打つ。
 あるいは、自身をPRするにふさわしい場所に
 特定の人を集める。
 
 
 これが、他のメディアにはない、ネットの力です。
 
 資本の大小に関わらず、このネットの恩恵にあずかるために必須となるのが、『戦略』です。
 特に、この厳しい経済状況の中で、生き残りを賭けてがんばる企業には、自社へ最大のメリットをもたらすことができる、優れた戦略をぜひ構築してほしいと思っています。
 
 
 
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